都会で感じた違和感と“久米島”との出会い【前編】

都会での暮らしは便利で、仕事にも恵まれ、毎日充実はしている──
それでも、ふと立ち止まったときに、「本当にここが私の居場所なのかな?」と感じたことはありませんか?
私が久米島への移住を意識したのは、疲れや不満があったからではなく、
「もっと広い世界を見て、自分らしく生きたい」と思ったからでした。
この記事では、久米島の海と出会い、「移住」という選択肢を意識するようになったきっかけをお話しします。
自分が自然体でいられる場所を探したかった
私が移住を考え始めた理由は、
「もっと自然体で暮らせる場所に身を置きたかったから」です。
仕事も人間関係も良好だったけれど、気づけばずっと「人の多さ」の中に身を置いて生きていました。「このままここで生きていくのかな…」とふと立ち止まったとき、他の場所での暮らしを想像してみたくなったんです。
同じ環境に慣れきってしまった自分
幼少期は千葉で過ごしましたが、中学からはずっと都内通い。
高校、大学、そして社会人になってからも東京で暮らし、渋谷・原宿・新宿…
都会での生活は私にとって“当たり前”でした。
薬剤師としては恵まれた環境にいました。
大きな病院の門前薬局で経験を積み、先輩や上司も尊敬できる人ばかり。
成長を感じられる職場で、日々たくさん学ばせてもらっていました。
しかし、毎朝の満員電車、時間に追われる日常、人混みに囲まれた暮らし──。
都会はたくさんのものに溢れていて、便利で、刺激的で、何でも手に入る場所でした。
それなのに、街を歩いても心が躍らない。
洋服屋さんも映画館も、飲食店も美容室も、たくさんあるのに通り過ぎるだけ。
「お金を払ってまで体験したい」と思えることは少なくて、「いつでも行ける」と思うと、結局行かないんですよね。
そんな「何でもあるけど、心が満たされない」という感覚が、少しずつ自分の中で大きくなっていきました。
久米島で見つけた“もうひとつの居場所”
① ダイビングで出会った久米島
大学4年生のとき、趣味として始めたダイビング旅行で初めての沖縄にして久米島を訪れました。飛行機から見える青い海。船で出港するとすぐ見たことのない青一色の海の世界。
時間がゆっくり流れているように感じるその島で、気づけば自然と肩の力が抜けていました。
② 心を掴んだ久米島の海
潜るたびに感動する透明度の高い海、カラフルな魚たち、そして水中ならではの浮遊感。
海では毎度違う魚や海の景色の出会いがありました。
それは、都会では絶対に味わえない感覚でした。
ダイビングショップの人たちはとてもフレンドリーで、毎回「おかえり!」と迎えてくれる。
その温かさもあり、年に数回は久米島に通うようになっていました。
③ 踏み出した一歩:薬局にメールを送った日
通い続けるうちに、ただの旅行先ではなく、「ここで暮らしたらどんな生活が待っているんだろう」と思うようになりました。
島の薬局をネットで検索すると、薬局は一社で2店舗。求人が掲載されているのを発見。
まずは話を聞いてみよう。と勇気を出して、メールを送りました。
すると返事は──
「今ちょうど人が入ったところでいっぱいなんです。
でも、見学だけでもぜひ来てください。」
残念ながら、求人はなかったけれど、「見学だけでも」という言葉にも背中を押され、
ダイビング旅行と合わせて薬局の見学をすることにを決めました。
④ 島の薬局で感じた温かさ
実際に見学へ行った薬局は、東京の薬局とはまったく違う雰囲気でした。
忙しさがある中にも患者さんと薬剤師の距離が近く、日常会話を交えながら薬を手渡す光景。
その温かいコミュニティに、心が惹かれていきました。
薬局長との食事では、島での暮らし方や働き方についてたくさん話を聞くことができ、移住へのイメージがぐっと現実的になった瞬間でした。

違和感に気づいたら、行動してみる
あのとき、ただ頭の中で「島に住んでみたいな」と思っていただけでは、何も変わらなかったはずです。ちょっとした気持ちでも、まずは行動してみる。
小さな一歩を踏み出したからこそ、島での暮らしをリアルに想像できるようになりました。
“違和感”は、次のステップへ進むためのサイン。
久米島の薬局へメールを送ったことが、私にとって移住への第一歩でした。
次回予告
求人が空くまでの待ちの時間──。
その間、私は東京で薬剤師としてできることを全力で学び、海外でのダイビングにも挑戦しました。そして父の闘病と別れを経て、「移住」という決断を固めていきます。
次回の記事では、
- 東京でスキルを磨いた時間
- 海外ダイビングで広がった世界
- 父と母からもらった“後押し”
この3つのストーリーを中心に、移住を決意するまでの過程をリアルにお伝えします。
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